レビー小体型認知症と戦い、永眠
現地2019年5月27日早朝、元レッドソックスの1塁手で、巧打者のビル・バックナーさんが家族に見守られ、息を引取しました。69才。
早すぎる死を迎えたビル・バックナーさんが抱えていた病気は、日本でも3大認知症の一つと言われているレビー小型認知症(レビーしょうたいがたにんちしょう)。
レビー小体とは神経細胞の中にあらわれるもので、アルファ-シヌクレインという特殊なたんぱく質からなり、これが増えると物忘れがひどくなり、さらに悪化すると震えや歩行障害も伴うという病気です。
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ミラクルメッツを後押しした伝説のトンネル
ビル・バックナーさんと言えば、どうしても書かざるを得ないのですが、1986年ワールドシリーズのGame6の伝説のトンネル。
(以下、過去記事から引用)
レッドソックス3勝2敗で迎えた第6戦(シェー・スタジアム)、延長にもつれ10回表に2点を勝ち越し5‐3とし、68年ぶりワールドチャンプまであと一人となったレッドソックス。
しかし、2アウトから2連打、そしてタイムリーでまず1点で5−4に。
ムーキー・ウィルソンが粘る間にワイルドピッチで1点を追加し、5‐5の同点。
そして粘ったウィルソンが10球目に放った当たりは、バウンドの高いファーストゴロ。しかし、一塁手ビル・バックナーの手前でバウンドが変わり後逸。
大きく逸れたボール追う間に2塁走者が生還し、6‐5でメッツがサヨナラ勝ちをしたのでした。
続く第7戦も勝利したメッツが、ワールドシリーズチャンプとなったのでした。
レッドソックスファンにとっては「バンビーノの呪い」の力(4度目)を再認識せざるを得なかったゲームでした。
どうしてもこのたった1つのエラーがクローズアップされがちなのですが、バックナーさんは打者としてすごい人でした。
通算安打2,715本
ビル・バックナーは1949年12月生まれで、1968年のアマチュアドラフトでドジャースから2巡目で指名されてプロ入り。
メジャーデビューは翌年の1969年9月21日。
ドジャース(1969-76)、カブス (1977-84)、レッドソックス (1984-87, 1990), エンゼルス (1987-88)、 ロイヤルルズ(1988-89)でプレー。
キャリア通算の成績が打率.289、OBP .321、SLG .408、 2,715安打、174 HR。
1981にオールスターに出場。MVP投票のリストにも入りました (1974、 1978、 1980-82)。
とにかく三振が少ない
キャリア通算の三振数が453個。打席数で10,037を数え、打数が9,397の選手の三振数です。
その少なさのたとえですが、1試合3三振を喫したことがないとのツイートも。イチロー選手でも22試合あるにもかかわらず!
さらに辛辣な例えが、ジョーイ・ギャロの2017年の成績との比較。
1万以上の打席数で453個しか三振がないバックナーに対し、ジョーイ・ギャロの2017年は1305打席で470個の三振。
誰もが思った「もし、バックナーの立場なら」
誇れるような打撃を残しても、たった一つの重大なエラーで何年もあらゆるところで大きな非難にさらされ続けたビル・バックナー。
厳しい言葉を浴びせる人もたくさんいたと思いますが、一方でこう思った人も多かったと思います。
「もし自分がバックナーの立場なら」
そういう思いやりのある人も大勢いたせいでしょうか。
1990年にレッドソックスに再び戻ってきたときはバックナーはファンからスタンディング・オベーションで迎えられました。
十字架を背負った彼をファンが暖かく出迎えたという点で、これはよいお話だと思います。
なお、レッドソックスは2008年にファーストピッチで彼を呼び、涙ながらの始球式となりました。
大選手なのに、厳しい数十年を過ごしたビル・バックナーさんに心から敬意を評すとともに、安からにお眠りいただきたいと思います。
最後は家族に見守られて永眠したというのはその情報を目にした我々も救われた思いがしました。
RIP
お読みいただき、ありがとうございました。
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